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【本の紹介】「9.11の標的をつくった男」飯塚真紀子(著)

9・11の標的をつくった男  天才と差別―建築家ミノル・ヤマサキの生涯

9・11の標的をつくった男 天才と差別―建築家ミノル・ヤマサキの生涯



本書は米国で建築家として活躍したミノル・ヤマサキの生涯について書かれた本です。
ミノル・ヤマサキは日系2世です。

ミノル・ヤマサキは9.11でテロの標的となったニューヨークのWTC(ワールドトレードセンター)の設計者です。
米国で差別と貧困を乗り越え、近代建築家として確固たる地位を築きます。
ミノル・ヤマサキは1912年に日系移民の子としてシアトルのスラム街に生ました。
そして、1986年2月6日に73歳で没しています。


本書を読むまで、WTCの設計者が日系人だということを知りませんでした。


WTCと言えば9.11米同時多発テロの標的となった超高層ビルです。
設計当時は世界一高いビルでした。
アメリカの資本主義の象徴とまで言われたWTCを狙ったテロは多くの犠牲者を出したのです。


当時、僕は2機目の旅客機がWTCに激突する瞬間を、ファミレスの大画面テレビで見ていました。
仕事帰りに上司とファミレスで夕飯を食べていると、大画面テレビがニュースに切り替わり、WTCに旅客機が激突したと報じはじめました。
それが1機目の激突です。
超高層ビルから煙が上空に立ち上る映像が流されており、いったい何が起こっているのかファミレス内のお客さんが皆、大画面を覗き込むかのように直視していました。
すると次の瞬間、衝撃的な映像が流れます。
2機目の旅客機が隣のビルに突っ込んだのです。
その後、WTCは垂直に崩壊していきます。


同時多発テロの標的になったWTCの設計をした人が日系人であることを日本ではどれくらいの人が知っているのか。
少なくとも、僕の周りで知っている人はほぼ皆無でした。


それでは、ミノル・ヤマサキとはどのような人物だったのでしょうか。
本書に書かれている内容に基づき、紹介させていただきます。


ミノル・ヤマサキは建築家として成功をつかみます。
しかし、その代償として家族と健康を犠牲にしています。
ミノル・ヤマサキは納得いくまで、ひたすら働き続ける人でした。
1日20時間近い労働が何日も続くような生活です。
物事に対して妥協することを許さないのです。
それは、自分だけではなく、家族にも、そして部下にも同様ことを求める人だったようです。


長時間労働といくつものプロジェクトを抱えることのストレスから、何度も体を壊します。
一度は死ぬ寸前までいきます。


そして、仕事に徹底して取り組んだことで家族との時間がとれず、一人目の奥さんであるテリと離婚します。


結果的に、ミノル・ヤマサキはその後2度の結婚と離婚を経て、また一人目の奥さんであるテリと再婚します。


なぜミノル・ヤマサキはそこまで徹底して仕事に取り組んだのでしょうか。
ミノル・ヤマサキを突き動かしたものは何だったのか。

ミノル・ヤマサキはその答えを「日本人であることの劣等感」であったと生前に語っていたようです。


ミノル・ヤマサキの母ハナも徹底した、妥協を許さない人だったようです。
息子やその妻に対してきつくあたる人だったようです。
移民に対する差別的な扱いを受けてきたハナもミノル同様に日本人であることの劣等感があったのかもしれません。


ミノル・ヤマサキは高年期に、息子たちに向かって「もし、もう一度、人生を送ることができるなら、お前たちのように、生きたいよ」と語っています。

子どもたちにも自分のような生き方を求めますが、子どもたちは反発し父親とは違う生き方を志しました。
そして、子どもたちは好きな仕事をしながら、かつプライベートも充実した人生を歩みます。
ミノル・ヤマサキは日本人であることの劣等感に苦しみますが、子どもたちのように多少の差別を受けながらもそれにとらわれず、自由な意志を持ち人生を過ごしている姿を見て羨ましく思ったのかもしれません。


ミノル・ヤマサキは建築家としての才能、そして努力により確固たる地位を築きました。
WTCは初期の頃、世間的には評価が低くかったようです。
でも、時が経つにつれマンハッタンになくてはならない風景の一部となりました。

後にテロの標的になってしまいますが、設計当時は世界一高いビルです。
米国ではとても注目され、いろいろな論争も繰り広げられました。
日系人として差別を受けながらも、建築家として成功をつかんだミノル・ヤマサキは日本でも、もっと注目されて良い人だったのではないでしょうか。


本書ではWTCの仕事を受託し、完成に至るまでについてかなりのページを割いて紹介しています。
また、ミノル・ヤマサキサウジアラビアの事業に携わった時、実はテロの首謀者と間接的にですが偶然にも接点があったことが紹介されています。
偶然とはいえ、とても皮肉です。



最後に著者を紹介させていただきます。
著者の飯塚真紀子氏は、米在住のジャーナリストでいろんなジャンルで、雑誌に記事を投稿したり、本を書いたりしています。
早稲田大学教育学部英語英文科を卒業し、編集部に務めた後、渡米しロサンゼルスを拠点とし活躍しているようです。
本書について、かなりの情報収集に時間を費やしたのではないでしょうか。

機会があれば、他の本についても読んでみたいです。




おしまい