サラリーマンのあしあと

40代前半のサラリーマンが幸せな人生を模索してます

【本の紹介】「マリス博士の奇想天外な人生」キャリー・マリス(著)福岡伸一(訳)

マリス博士の奇想天外な人生 (ハヤカワ文庫 NF)

マリス博士の奇想天外な人生 (ハヤカワ文庫 NF)


著者は1993年にノーベル賞を受賞しています。

科学者としての経歴もすごいですが、プライベートでは4度の結婚、LSDマリファナの使用経験あり、サーフィン大好きとかなりの奇抜な人です。

ノーベル賞の受賞式に、元妻と子供、そして恋人を連れていきました。
ノーベル科学賞を受賞することとなったPCR法は彼女とドライブデート中に思い付きます。
皇后さまに「かわい子ちゃん」と挨拶したことがあります。
その他にもたくさん逸話がある人物です。


著者は訳者インタビューで、「自らを形容するのにぴったりな言葉は何か」という質問に「オネスト(正直)」と答えています。
おそらく、好きなことを我慢できずに夢中になってやるタイプです。


著者は大成功するための要素をふんだんに持ち合せています。


ずばり、この人は「天才」なのだと思います。


それに加え、学生時代から今に至るまで興味を抱いたことについては、徹底的に勉強されている人だと思います。


なかなか凡人にはマネできないでしょう。



本書はそんな著者のエッセイです。


本書は非常に楽しく読むことができます。
いろいろな出来事を、おもしろおかしく綴っています。



著者はサイエンスの分野でノーベルを受賞しているひとなので、本書にはサイエンスの話がけっこう出てきます。
専門的過ぎて少し取っ付きにくい内容もあるのですが、著者がサイエンスの分野で異端児扱いされてるんだろうなということは十分に理解できます。


著者は、エイズの原因はエイズウィルスではないと主張しています。
また、環境問題についても現代の当たり前とされている考え方に疑問を呈しているのです。


著者は次のように述べています。


【社会的に重要とされている問題のうち、それが本当かどうか、きちんとした実験的検証を経てているものは、実はほとんどないのである。】


また、


【メディアは科学者の思いのままだ。科学者の中には、メディアを実にうまく言いくるめる能力にたけた人々がいる。そしてそのような有能な科学者たちは、地球を守ろうとは露も思っていない。彼らがもっぱら考えているのは、地位や収入のことである。】


だから、


【私たちは自分の頭で考えねばならないのだ。】



僕はエイズや環境問題について専門的な知識がないので、著者の主張が正しいのかどうかはわかりません。
ただ、こういう主張・考え方はあらゆる物事を多角的に捉えることのヒントにはなります。

また、メディアに流されないための知識の習得の必要性も感じます。


本書における本編の最後に著者は、


【人類ができることと言えば、現在こうして生きていられることを幸運と感じ、地球上で生起している数限りない事象を前にして謙虚たること、そういった思いとともに缶ビールを空けることくらいである。リラックスしようではないか。地球上にいることをよしとしようではないか。最初は何事にも混乱があるだろう。でも、それゆえに何度も何度も学びなおす契機が訪れるのであり、自分にぴったりとした生き方を見つけられるようにもなるのである。】



結論として、人生において、悩む必要はないということでしよう。
ネガティブになるのではなく、ポジティブになりましょうということか。



奥が深い、、、、。





おしまい

【本の紹介】「大人げない大人になれ!」成毛眞(著)その3

大人げない大人になれ!

大人げない大人になれ!



その2の続き



【神話をつくろう】


著者は自分自身のたったひとつの神話が、より多くの人を惹き付けることにつながることもあると述べています。

そして、自分のやり方の面白さは自分が一番わかっているのだから、こういう逸話は自分で作り出さなければならないとしています。
いかに面白く自慢を聞いてもらえるかを考えださなければならないのです。



ネオテニーという進化論】


難しい学術的な話はさておき、人間の進化には学習期間・教育期間が長くなることが影響しているらしいです。
新たな発見と知識の積み上げが、人間を進化させたのであれば、確かに学習期間は重要で、さらに長くなることが望まれるのも理解できます。

少し趣旨が異なりますが、人が社会人になるまでに、経験しないといけない学習・教育期間を今までよりも長くしないといけないという話は、最近注目されている「人生100年時代」の話にも出てきます。

何かの機会に、ゆっくりと検討したいです。






それでは、その他の参考になったことを箇条書きで紹介させて頂きます。



・創造性とは、どれだけ平均的な発想から逸脱できるかということである。
(いつも周囲の空気を読んだり、皆と同じことをしている人は無理です。)


マイクロソフトは昔は高卒、大卒に関係なく、全てが一芸入社状態だった。


・読書において重要なことは、大事なことは記憶することではなく、本を読むことで衝撃を受け、自分の内部に精神的な組み換えを発生させることだ。



最後に本書で一番共感できたことを紹介させていただきます。




【私は、自分のことをいい加減な人間であると自覚しているし、他人から見ればふざけた性格であると思う。それでも、これまでに自分の性格を変えようと思ったことは一度もない。その必要があるとも思わないが、そもそも、意識的に自分を根本から変えることは無理だと考えているからだ。】



著者がかなりの成功者であるから、非常に説得力があります。
ここの文章だけでも、10年前に出会えて良かったです。
当時はかなりの衝撃でした。




本書の内容は賛否両論なところが多々あると思いますが、仕事や人生に行き詰まっている人には今の状況を変えるヒントがたくさん詰まっているのではないでしょうか。






おしまい

【本の紹介】「大人げない大人になれ!」成毛眞(著)その2

大人げない大人になれ!

大人げない大人になれ!


その1の続き



【一つだけやめてほしい事がある。それが「目標を持つ」ことである。】


著者は、目標を設定することは無意味であるどころか、自らのの可能性を捨ててしまうことに等しいという。
目標に縛られた人生は、もの悲しいのだと述べている。


異論はありません。


特にキャリア設定については、時代の変化が激しい中、ズレた目標を設定してしまうと人生の可能性を狭めてしまうかもしれないです。


【人が個性について語る場合、どうもいい個性のことばかりをとりあげているように思う。いい個性は伸ばし、悪い個性は直しましょう、というわけだ。しかし、私にとってはどちらも大切にすべき個性であるし、そもそもこうしたものにいいも悪いもないのである。】



良い個性も悪い個性も合わせてその人の個性ということでしょう。




【年をとるにつれて、顕著になる特徴は、保守的、悲観的、独善的の三つである。】



この三つの特徴について、著者は以下のように述べている。


一つめの保守的について

人は50代を過ぎると驚くほど保守的になります。
変化することにエネルギーを使うのではなく、変化しないことにエネルギーを使うようになってしまうのだ。
多くの保守的人間はその自覚がないから、対応に困るのも当然だ。


二つめの悲観的について

かつては希望を持って将来を見つめていたはずなのに、、、。
悲観論者はすでに経済的な基礎が出来ており、自分では困らないけど、まあちょっと私のありがたい話でも聞いてみなさいよ、っていう感じの人が多い。


三つめの独善的について

人は人生経験を積めば積むほど自分の経験が判断の基準となる。
「私の若い頃は-」と語り出されたら、誰でもその場から逃げだしてしまう。




本来は、挑戦的、楽観的、過去に捕らわれない考え方がとても重要なのではないでしょうか。



【挫折や失敗を知らない人はダメだと言われることがあるが、私はそんなことはまったく信じていない。私自身これまでに挫折をしたことはないし、これからもしたくはない。それでも自分がダメだとは決して思わない。】


著者は上司に挫折することで人間は大きくなると言われた時に、次のように言ったとのことです。


「挫折をしなければならないというが、そもそも人間は死ぬまで成功している方がうれしいはずだ。失敗を自ら望む人などいない。一方で、人は必ず失敗するとしても、それは自分が失敗と認識してしまうからだ。それならば自分で失敗だと考えずに、ずっと成功していけると思っていたほうがいいだろう。あなたは成功し続ける人間と失敗する人間のどちらになりたいのか。」


納得です。


著者は鈍感な人は失敗を失敗とも思わないから挫折せずに前向きでいられるし、小さな成功では満足しない、こういう人が納得いくまで突き進み、大成功を収めるのであると述べています。





【期限ぎりぎり体質は悪くない】



著者は、もし何かの仕事の期限を抱えていたとしても、まだ気乗りがしないようであれば機は熟していないと考えるべきだと述べています。
恐らく惰性的に仕事に取りかかっても、その質に期待はできないのです。


著者は期限ぎりぎりにならないと、仕事が手につかないようです。
以外と、ぎりぎりの方が仕事の出来ばえは良いようです。
自分自身の経験上、非常に共感できます。



【何か新しいものが生まれるときは、たいていそのきっかけに偶然性をはらんでいる。アイデアを生み出すには、この偶然性をいかに自分の味方につけるかが重要になるのだ。】



著者にとっての偶然性を味方につける方法は読書だということです。

新しいアイデアが生まれるときは、知識があってはじめて知恵とにり創意工夫がなされるのです。


知識がないと知恵は生まれません。




その2に続く




おしまい

【本の紹介】「大人げない大人になれ!」成毛眞(著)その1

大人げない大人になれ!

大人げない大人になれ!


本書は10年近く前に偶然読んだ本です。

当時、仕事がうまくいってなかった頃だったのですが、非常に共感を持つことができ、気分が前向きになれました。
歴史は繰り返されるといいますが、10年近く経ってまた仕事がうまくいってなくて、本書を手に取りました。


10年近く経っても共感できます。

本書の内容が万世に不変の法則なのか、自分が成長していないのかは分かりかねますが、、、。


前置きはこのくらいにして、本書の紹介をさせていただきます。






「大人げない大人」って、普通に考えるとイメージが良くないですよね。

なんとなく、負のイメージが多く思いつきます。

例えば、
知的でないイメージもあります。
下品なイメージもあります。
偏屈なイメージもあります。
自己中なイメージもあります。
だらしないイメージもあります。
女癖の悪いイメージもあります。
遊び人のイメージもあります。

その他にもマイナスイメージがたくさんあります。



そもそも「大人げない大人」ってどんなひとでしょうか。
著者は「単純にやりたいことを我慢できない人」と定義しています。

本書では、「やりたいこと」を我慢せずに

①仕事として徹底的にやっている人

②趣味として夢中になってやっている人

について書かれてあります。

上記の負のイメージとはまったく違う「大人げない人」のことです。

どちらかというと、知的な人達です。


やりたいこと=知的なやりたいこと(決して女遊びや夜の遊びなどではありません)を仕事や趣味で徹底的にやりましょうという本です。


やりたいことを仕事として徹底的にやっている人に、我慢して嫌々仕事をやっている人が勝てるわけがありません。
やりたいことを趣味として夢中になってやっている人に比べ、平日は働くだけ、休日は家でのんびりするだけの人が、豊な人生を送れるわけがありません。



著者は【はじめに ~ なぜ「大人げなさ」が必要か】で、どういうわけか日本では、我慢を美徳として考える傾向があると述べています。

でも、周りの成功者とされる人に我慢強い人物は見当たらないとも述べています。
逆にやりたいことがまったく我慢できない、子供のような人ばかりだそうです。
そういう人は、好きでやっているのだから、時間を忘れていくらでもがんばるし、新しいアイデアも出てくるといいます。

【我慢をして嫌々ながらやっている人が、こういう人達に勝てるはずがない。】

その通りだと思います。


【自分の持つ大人げなさをどう扱うかで、人生に大きな差がつく。】のだそうです。
つまり、やりたいことを仕事にして、徹底的にやること、または夢中になれることを見つけて趣味にすること。

これができるかどうか、なのです。



それでは、本編で参考になったことを紹介させていただきます。


【人は大人げなくいることで、多くの人を魅了し、新たな発想を生み出すことができる。そして、自分の人生を面白くできるのも間違いなく大人げない人なのである。】


自分なりに言い換えると、
「やりたいことを徹底的にやっている人は、多くの人を魅了し、新たな発想を生み出すことができる。そして、自分の人生を面白くできるのも間違いなくやりたいことを徹底的にやっている人である。」


なるほど。



【夢中になることを意識的にコントロールすることは不可能である。だから、夢中になれることに出会えたならば、その幸運に感謝しなければならない。】


ここ2~3年で夢中になって、はまったことってあっただろうか。
少なくとも、仕事で夢中になれたことはなにもないです。


そりゃ、勝てないわな。



【新卒として入社した若者には、若い時の苦労は買ってでもしろ、と教えられる。~ 果たしてこれは本当なのであろうか。】


どうでしょうか。
ちなみに著者は、全否定はしていませんがかなりの疑問を呈しています。


私見ですが、苦労から得ることはたくさんあると思います。
苦労して成功した方が、自分の物語を語るには都合が良いです。
だから、苦労はすべきです。

ただ、むやみやたらに苦労したらよいというわけではないと思います。
苦労とは我慢する期間があるということです。
苦労から得るものがあったとしても、人生の限られた時間を苦労に費やして得るだけの価値があるかどうか。
そこのバランスだと思います。

そもそも、人生の選択肢をたくさん持っている人は、我慢なんかする必要はないと思います。
つまり、苦労する必要はないです。
人生の選択肢を増やすには、下記のような条件が必要なのではないでしょうか。

・たくさんお金を持っている

・他人にはない特殊能力を持っている

・他で活かせる専門知識や経験がある

・自分に絶対的な自信がある

などなどです。


このような条件が備わっている人は、今の選択以外にも人生の選択肢がたくさんあります。
我慢する必要はないし、苦労する必要もないのです。
限られた時間は、有意義に使うべきです。


ただし、まったく条件の備わっていない人は我慢せざる得ないし、必然的に苦労するしかないと思います。
今の僕に該当します。
つらい、、、。


その②に続きます




おしまい

「さとり世代」について調べてみました

「さとり世代」って知ってますか?
僕は恥ずかしながら、最近になって知りました。
ゆとり世代は知っていたのですが、「さとり世代」という言葉は知りませんでした。


「さとり世代」がどのあたりの世代かというと、いろんな説があるらしいのですが1990年~に生まれた世代という説が有力のようです。
だいたい20代半ば以下の世代がメインで、ゆとり世代とはかぶるのでゆとり世代の中に「さとり世代」が含まれる感じのようです。



「さとり世代」の特徴は「欲がない」ことで、恋人はいらない、車はいらない、旅行はいかない、結婚したがらない、ぜいたくしたがらない、お金は生活できる必要最低限があれば良く、とにかく安定を望む世代です。


人間関係も必要以上には広げたがらない、だから人づきあいもほどほどで休みは家で過ごすことが多い。
でも、自分の趣味にはお金をかける、そんな世代の人たちです。



今、物が売れない時代ですが「さとり世代」の物欲のなさが影響しているという説もあるようです。


「さとり世代」はバブル崩壊後に生まれた子たちの世代です。
バブル崩壊後の一般家庭では父親の給料が大幅に減ったり、購入した土地や家の価値が短期間で半分以下になったり、ローンの返済に追われたり、中高年男性の自殺が増えたりとさんざんでした。
どこの家庭もバブル時代のぜいたくな生活からはかけ離れた節約生活を余儀なくされました。



そんな時代に生まれた子供たちは、家計をやりくりするのに精一杯の親に育てられました。
親にはぜいたくよりも堅実さを教えられたのです。
そして、欲しいものも買ってもらえない子たちは、ぜいたくな生活を知らないまま大人になりました。



結果として、無意識のうちに欲をもつことをあきらめてしまったのでしょう。
ある意味、「欲がない」というよりも「欲をあきらめた」世代なのかもしれません。



「さとり世代」は就職するときも、こういうことがしたいとか将来出世して高給とりになってやるという野心はありません。
入りやすい会社に就職して、とりあえず当たりさわりない程度の給料をもらって、むりのない安定した生活を求めています。


「人は人、自分は自分」と考える「さとり世代」は、会社の飲み会にも参加せず家に帰ってゆっくり過ごすのです。



ただし、「むりのないほどほどの安定した生活を手に入れたい」という欲だけはあるようです。





「さとり世代」をなんとなくでも理解していただけましたか?

今回「さとり世代」を調べてみた理由は、会社の若者たちがまったく欲のない生活をしていて、仕事も当たりさわりなく無難にこなし、さっと定時で帰っていく姿にジェネレーションギャップを感じたためです。
まわりの話を聞くと「さとり世代」だから仕方がないという意見がありました。



僕は「さとり世代」とは真逆で、欲のかたまりみたいな人間です。
20代なんかは、野心がありすぎてかなり偏った考え方をしていました。



はたして、バブル崩壊後に生まれた子たちを「さとり世代」でひとくくりにするのがよいのかどうかについては疑問に思う部分もありますが、世代の傾向については「欲がない」になるのでしょう。


そんな「さとり世代」ともうまくやっていかなければなりません。
ジェネレーションギャップとか考えず、受け入れていかないといけないですね。







おしまい

【本の紹介】『学校で教えてくれない「分かりやすい説明」のルール』小暮太一(著)その2

学校で教えてくれない「分かりやすい説明」のルール (光文社新書)

学校で教えてくれない「分かりやすい説明」のルール (光文社新書)


その1の続き


その1で「分かりやすく説明するために必要なものとは何か?」の答えは次の2点だということを紹介させていただきました。

①相手に理解してもらいたいと思う意識

②相手に合わせて表現を変えること


著者は②については、表現方法を身につけるためにはきちんとしたルールが必要だと述べています。


それでは、表現方法のルールについて、参考になったことを箇条書きで紹介させていただきます。


・ストレートな表現をこころがける
(表現に私情や注釈をやたらとはさまない)

・説明の文章は、一文を短くする

・一文の中に、言いたいことはひとつしか入れない

・主語と述語は近くに置く

・一文が複数の意味に取れるおそれがある場合は、文章を2つに分ける

・接続助詞の「が」、テーマ出しの「は」は使わない
(接続助詞の「が」は順接だが、逆接の「が」と混同してしまう。)

・二重否定は使わない
(× ~でないことはありえない)

・主語に「の」は使わない


箇条書きしたルールについて、常に意識したいと思います。




追加で参考になったこと

【人が何か学びたい、人が何かを理解したいと考えるのは、目的があるからです。そして、今学んでいることが自分の目的に沿うものであれば、やる気が出て真剣に理解しようとします。】


著者は、「今、自分は何をやっているのか」「今、教わったことにどんな意味があるのか」を知らないまま闇雲に行動するよりも、結果的にどんなことが身につくのかを知った上で説明を聞いた方が、「聞き手」は腑に落ちると述べています。



【「抽象的なテーマ」と「具体的な内容」を交互に説明する】


抽象的な話の後に、具体例を出すとイメージしやすくなります。
具体的な話の後に、それが全体のどのあたりに位置するのか、抽象的な話をすることで話の方向性がわかります。




著者は分かりやすい説明を中学2年生から考え始め、予備校時代にその答えを見つけ出したようです。
そして、大学時代に分かりやすい経済の本を書いて出版しています。
本書はどちらかというと基礎的なルールが中心で、分かりやすい内容でした。
基礎的な内容であるがゆえに明日から使えるルールがいくつもありました。



本書を読んで、参考になった内容についつ常に意識し、分かりやすい説明をこころがけていけば、僕の分かりにくい説明も、少しは改善されるような気がします。





おしまい

【本の紹介】『学校で教えてくれない「分かりやすい説明」のルール』小暮太一(著)その1

学校で教えてくれない「分かりやすい説明」のルール (光文社新書)

学校で教えてくれない「分かりやすい説明」のルール (光文社新書)


今まで説明のルールについて、学校で教育を受けたことはありません。
社会人になれば、仕事で人に説明する場面が増えるため、自己啓発としてハウツー本を読んだり、説明の上手い人を観察したりしてきました。

年を取るにつれて、スキルが上達するかと思いきや、そんなことはありません。
上司に報告内容を理解してもらえなかったり、経験の浅い人への指導でも大事なことが伝わっていなかったりしています。


そこで手にしたのが本書です。
本書は「説明のルール」について書かれた本だけあって、著者はとても分かりやすく「説明のルール」を説明しています。



著者は【はじめに】で、分かりやすく説明する力は、生まれ持った能力というより、トレーニングで身につくものだと述べています。

そして、まずは以下の2点を強調しています。

①「分かりやすく説明する」とは、一種の技術で、後天的に身につけることができること。

②「分かりやすい説明」は、文章の書き方/話し方・プレゼンテーションのスキルとは違うこと。




「分かりやすく説明するために必要なものとは何か?」
著者はそれを考える前提として認識しておくべきことがあると述べています。


それは、分かりやすいかどうかを決めるのは、相手(聞き手)であり自分ではないということです。


当たり前のように感じますが、このことを正しく認識している人は少ないかもしれないです。
理解できないのは相手(聞き手)に問題があると考える人は多いです。



分かりやすいかどうかは相手(聞き手)が決めているということを前提として、「分かりやすく説明するために必要なものとは何か?」というと以下の2点だということです。


①相手に理解してもらいたいと思う意識

②相手に合わせて表現を変えること


自分の伝えたいことが伝わっているか、どう思われているか、を常に意識する必要があるということです。


著者は「説明を理解してもらえないのは自分の責任ということを自覚する」ことをとても重要なことだとしています。



それでは、本書を読んで参考になったことを紹介させていただきます。



【「目下の話題が何についてのことなのか」というテーマが見えていないと理解がすすまない】



テーマが分からなければ、説明も分かりません。
ニュース番組では、はじめに「出来事の概略」、次に「出来事の詳細」と続きます。
まずは概略を知ることで、どんな出来事かをつかんでおかないと、詳しい説明をきいても理解できないのです。



【「説明が論理的でなくなってしまう」のは、説明者が論理的思考をできないからでなく、単純に「説明するべきものを省略しているから」です。】



論理が分からなければ、説明は分かりません。
ただし、論理的な説明ができていないのではなく、説明が省略されているからだということです。
途中を端折りすぎると、説明のつながりがなく一貫性に欠けるのは確かです。



【「分からない」には2種類あることが分かります。ひとつは、「知らないから分からない」、もうひとつは「理解できないから分からない」です。】


「知らないから分からない」は、単純に知らないだけなので、その情報を提供してあげれぱ良いだけです。
しかし、「理解できないから分からない」は、情報提供だけではなく、背景や論理を含めて説明をする必要があります。
この2つの「わからない」を混同してしまうと、本当は情報提供ではなく、論理の説明をしないといけないのに、見落としてしまうかもしれないのです。



今日はこのくらいにして、続きはその2で説明させていただきます。




おしまい